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 ▼ ルキノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』 (1974 仏, 伊)


 いきなり余談ですが、今年(2003)の明治大学の入試問題にこのヴィスコンティの『家族の肖像』に言及した論説文が出題されてましたねぇ。著者は誰だったか忘れた。実はそれを読んで、あー『家族の肖像』は見てないなぁ、これはやっぱり見ておかんとなぁという単純な動機。ま、いつもそんなもんなのであります。
 その論説の中で、うろ覚えなんだけれど、ひとつひとつの物が空間を構成していて、そこに異分子となるべきものが侵入することによって、その空間が崩壊していくとか、そのようなことが書かれてあったはずで、ふむふむ、物体が空間を構成ね、と、その直前に『マリエンバート』見たばかりだったから、ちょっと頷いておったわけです。
 さてバート・ランカスター演じる老教授(字幕では「先生」になってるけど、professorなんだから「教授」だろ)が、Conversation Piece ―つまり家族の肖像画で、空間を構成し、その空間に安住しておったというわけ。この邦題『家族の肖像』というのに、サザエさん大嫌い人間のボクとしては拒絶反応を示して、ずっと見ずにほったったんだけど、家族全員の肖像画のことを英語では「Conversation Piece(原題)」というらしく、それを残していく(今なら家族の写真なんだろうけれど)というのがかつてのブルジョワだったのですね。これを壁面にびっしりと飾っているというのも、ボクにはどこか怖いものがあるんだけれど、カメラがその壁面をパンして行くのも壮観。
 そんな空間に侯爵夫人ビアンカ(シルバーナ・マンガーノ)が間借りしたいと強引にねじ込んできた。まさに「ねじ込む」というのがぴったりなくらい、シルバーナ・マンガーノにエグい人種を演じさせてる。なんでもこの役はヘップバーンにという話があったらしいが、これではヘップバーンは蹴る罠。やりゃ、いいのに、ほんとお姫さまなんだから。逆にシルバーナ・マンガーノ、褒めてんだか腐してんだかわからんけど、おもいきりはまってんだよね、この役に。
 で、そのシルバーナ・マンガーノが連れてくる若きツバメ=コンラッドがヘルムート・バーガー。この組み合わせがドンピシャ! そしてコンラッドが構成された空間をつき崩していくわけ。それにシルバーナ・マンガーノの娘、さらにその婚約者...コンラッドは侵入者だろうけれど、ここらは闖入者だね。そきらへんの、微妙な対応の違いは、さすがバート・ランカスターなんでしょう。
 ひとつに「家族」というテーマが表面に出てきてはいるが、それぞれの人物がなんらかの象徴であって、簡単には70年代に旧態的な社会と新しい価値観がさまざまなところで対立したことを表していると見てるほうがおもしろいやね。そして、ついマジに構えてみてしまうのだけれど、字幕ではなくてもとの言葉(どういうわけか、仏伊製作でありながら英語)はもっと猥雑だったにちがいないと思える。だからほんとはもっと気楽に見れればいいのだけど。
 ただね、話が構成された空間から抜け出していくこともなくて、それはそれでいいんだけれど、そこに急に出現した「家族」の「会話」が、よどみなくあまりに整合しすぎて感じられる。彼らの間の諍いでさえも入念に仕組まれたもので、確かに仕組まれたものなのだが、突発性が見つからない。すべてがヴィスコンティの美学、人生観に包括されてしまって感じられてしまう。それというのも、ある意味でヴィスコンティにとっては集大成だったからなのか。


Conversation Piece(Gruppo di famiglia in un interno)
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ / スーゾ・チェッキ・ダミーコ / エンリコ・メディオーリ
撮影 パスカリーノ・デ・サンティス
音楽 フランコ・マンニーノ
出演 バート・ランカスター / シルバーナ・マンガーノ / ヘルムート・バーガー / クラウディア・カルディナーレ / ドミニク・サンダ
★★★★



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2003年03月15日(土)
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