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 ▼ 新藤兼人『墨東綺譚』 (1992 日)

 釈迦に説法ではございますが、いちおう自分がマヌケではないということを先に表明しておきますが、《墨東》の《墨》は正確にはサンズイに墨、それも旧字の「墨」であります。「■の字は林述斎が墨田川を言現すために濫に作ったもの」 で、こればかりはimgとしてはめこむかしかないので、ここはサボって《墨東》と書くけれど、ボクがアホなわけではないからネ。
 さてと、タイトルは『墨東綺譚』だけれど、映画そのものは『墨東綺譚』と『断腸亭日乗』のミクスチュア。『墨東綺譚』の原作では玉ノ井に通うのに「この辺の夜店を見歩いている人達の風俗に倣って、出がけには服装を変ることにしていたのである。」と、このあとこと細かにズボンはどうとか書き連ねてある。そのくだりを読んでボクは笑ってしまった。ボクの「日乗」の格好やないか(^_^ゞ ところが、この映画ではその格好というのは、お雪と別れてずっと後、戦後に浅草寺を「よぼよぼ」と歩く瘋癲老人として描かれていて(これには笑った)、玉ノ井のお雪に通うのにはシャキっとした格好だった。
 思うに、これは『墨東綺譚』に名を借りただけの別の世界だと。きっと原作の忠実な再現など、はなから頭にはなかったのじゃないか。一見、昭和初期というか、『断腸亭日乗』に記載された大正7年から昭和34年を描こうなどという意識は監督=新藤兼人にはさらさらなかったような気がする。
 ボクは玉ノ井に揺られて行く京成バスは『となりのトトロ』の猫バスのように思える。つまり夢の世界へ。自分の原体験としての昭和の情景に現在ある自分の情景がオーバーラップ、渾然となった夢の世界を描いている。
 なんで、こういうことを言い出すかというと、この時代を描いた作品というのは様々にあるのだけれど、例えば林海象『夢みるように眠りたい』なんかでの花王石鹸、カルピスといった看板、それらが徒に記号としてしか存在してない白々しさがある。もちろん、この『墨東綺譚』でも「通り抜けられます」は記号として描出される。ところが、新藤兼人はそれらの記号としての限界を知ってしまってるから、あえてそれらの記号を突き放したように提示している。林海象にとってはそれらが憧憬であるのに、新藤兼人にとっては原風景なのだ。それは、あたかも、ボクにとって、70年というのはきのうのことで、ときにはきょうと混ざり合ってしまったりもするけれど、いままだ20代の人達にとっては、70年というのは生れる前の歴史上の事実であるのと同じなんだと思える。
 この映画は原作の再現、視覚化として見たときには、はなはだ原作のイメージを損なうかもしれない。が、新藤兼人の永井荷風へのオマージュとして見ると、とても興味深かった。だってアラーキーでなくても、永井荷風には憧れちゃうもの。
 最後に、これ一発の墨田ユキ。そりゃそうでしょ、《墨田ユキ》なんて名前は『墨東綺譚』のためにつけられたんだから、使い回し、つぶしがきかない名前だもんね。ずばりヘタです。比べたらおこられそうだけど、杉村春子、抜群です。津川雅彦と杉村春子のアイスクリームを舐めながらの母子の会話の流麗さったら、ボクは見ていてここが一番おもしろかった。でもヘタはヘタでも『墨東綺譚』のお雪と同じように「幻の女」としておいといて欲しい。


監督・脚本 新藤兼人
原作 永井荷風
撮影 三宅義行
美術 重田重盛
音楽 林光
出演 津川雅彦 / 墨田ユキ / 宮崎淑子 / 八神康子 / 佐藤愛 / 井川比佐志 / 浜村純 / 角川博 / 杉村春子 / 乙羽信子
★★★★



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2003年02月21日(金)
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