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■ ▼ ジョン・カサベテス『こわれゆく女』 (1974 米)
 もうこれはジーナ・ローランズの演技に尽きるわネ。と、カサベテスのたんびに書いてるけれど、その中でもこれはピカ1。話のネタの是か非かいう以前にジーナ・ローランズってのはすごすぎる。存在感は抜群だし、指の先まで神経の行きわたった演技は、見てる側までぐったりと疲れさせる。不快というわけじゃなくて、ぐいぐい引っ張り込まれてしまう。 テーマ的にはボクはもっとも苦手。ジーナ・ローランズが、「わたしが大切にしていることが5つある」と、あ、このときも掌を突き立てて5つをがんと突きつけてきたんだよなぁ。家族の愛情とか...うううっ、これ、ほんと苦手なんだよなぁ。多分に当時のアメリカというのはそういうところで非常に病んでたところがあって、もちろんそれは日本にまできっちり伝染してきて、その数年後には「ニューファミリー」なんて言葉がもてはやされ、「ニューファミリー」 ― グロいよなぁ。 で、この映画についてはジーナ・ローランズばっかり、目に行ってしまうんだけど、ここはひとつ、コロンボでないピーター・フォークに注目。ずばり言ってしまうと、ジーナ・ローランズが『こわれゆく女』なら、ピーター・フォークは『こわれてしまってる男』なのだった。もっと言ってしまうと、ジーナ・ローランズが『こわれゆく家庭』なら、ピーター・フォークは『こわれてしまってる国家』だと思えて仕方がない。ここで、女=家庭、男=国家というのは、おかしいだろうなどとリブみたいなツッコミ入れないこと。この映画、カサベテスでしょ。だから「家庭の幸福とは?」なんてことで済んでしまうはずがないじゃないですか。1975年というベトナム戦争後に疲弊しきったまさに『アメリカの影』そのものを描いてるわけ。「家庭の幸福とは?」なんてのはハリウッドにまかせておけば、3日もあれば作ってくれるでしょ。そしてみんなが納得のいくハッピーエンドにしあげてくれるでしょ。この『こわれゆく女』のラストに納得いった人、どんだけいる?なんだかんだって、最後にはジーナ・ローランズもちゃんとベッドメイクしてよかった、よかった、なんておめでたくないです。このラストで何ら解決なんてしてないって。 それにしても、このカメラのどしつこさって一体なんなんでしょねぇ。ねちーっとした密着取材そのものって感じ。ジーナ・ローランズ、ピーター・フォーク、姑、医者4人のびんびんの緊張感も最高なら、ピーター・フォークに階段を引きずり上げられる姿、あるいは階段を駆け降りる子どもたちの後ろ姿、このシーンのしつこさもすごかったね。また工事現場の急な坂道を駆け降りるピーター・フォーク。もちろんジーナ・ローランズ、彼女自身が予想していないところまで一挙手一投足に至るまで捕らえてしまってるカメラのすごさってのもむちゃ迫力でありました。
A Woman Under the Influence 製作 サム・ショウ 監督・脚本 ジョン・カサベテス 撮影 マイク・フェリス / デビッド・ノウェル 美術 フェドン・パパマイケル 音楽 ボー・ハーウッド 出演 ジーナ・ローランズ / ピーター・フォーク / マシュー・カッセル / マシュー・ラボルトー / クリスティナ・グリザンディ
★★★★☆
2003年02月08日(土)
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