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 ▼ ジャン=リュック・ゴダール『女と男のいる舗道 』(1962 仏)


 「アラキ・ノブ・グリエが一番好き」(『10年目のセンチメンタルな旅』)だという。なるほど、と頷ける。ばさっばさっと切り取った映像がつながる。一見、なんてことはないのにねぇ。
 荒木経惟の写真を見ていて、いつも思うことだけれど、ほんとに彼が切り取ってくる情景は、なんてことはないのに、誰にでも写せる写真のように見えて、誰も撮りはしない(「誰にも写せない」ではない)写真だったりする。こうしてあらためて『女と男のいる舗道』を見てみると、荒木自身が「一番好き」というように荒木の作品に大きく影響していることがわかる。
 さて12の小景(これはブレヒトから来ている)から、1つのドラマを形作っていく。とはいっても、ゴダールに共通して言えることだけれど、ドラマを必要以上に求めると足もとをすくわれてしまう。痛い目に遭うた人いっぱいおるでしょ。それでゴダールなんて...とパスしてしまうの多いんだろうな。ボクもあんまり薦めませんですけどね(笑)
 簡単に書いてみると、ナナ(アンナ・カリーナ)―エミール・ゾラの『女優ナナ』―がポール(アンドレ・S・ラバルト)と別れて娼婦になる。ポン引きラウール(サディ・レボ)と出会い、ラウールの情婦となるけれど、結局ヤクザのいざこざでラウールにあえなく殺される。と、書いてしまえばなんてことないか。ラストも『勝手にしやがれ』と同じくらいに不条理。それに語り尽くされた『裁かるゝジャンヌ』のシーンだとか、哲学者ブリス・パランとの会話が挿しはさまってくる。このブリス・パランとのシーン(11章 ナナは知らぬ間に哲学を)は、ブリス・パランとアンナ・カリーナのアドリブ
 この『女と男のいる舗道 』は、アンナ・カリーナを見せるための映画だと。アンナ・カリーナはその当時のゴダールの嫁さんで、決して美人ってわけではないんだけれど、冒頭のタイトルが流れるところでのアンナ・カリーナの横顔なんかたまらない。いかにアンナ・カリーナを見せるかに大部分のエネルギーが注がれていて、ドラマというのはその枠組みでしかない。ふつうカチンコが鳴ってカットまでがその映画の表の部分だけれど、その前後までカメラはアンナ・カリーナを捕らえていく。またその前後の部分は編集されてしまうものだけど、そこも映画としてぶち込まれていく。この映画の作り方をめぐってゴダールとアンナ・カリーナは激しく対立したらしく、それが原因というわけでもないのだが、二人は別れてしまう。ところが、この手法というのは結構受け継がれてしまってんだよねぇ。また荒木経惟に話は戻ってしまうけれど、『陽子』なんかまさにその典型でしょ。荒木経惟は陽子さんを使って『女と男のいる舗道 』をやりたかったんだろうな。
 そうして見てみると妙な胸騒ぎが抑えられない映画なのです。

Vivre Sa Vie
製作 ピエール・ブロンベルジェ
監督・脚本 ジャン=リュック・ゴダール
撮影 ラウール・クタール
音楽 ミシェル・ルグラン
出演 アンナ・カリーナ / サディ・レボ / ブリス・パラン / アンドレ・S・ラバルト
★★★★★



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2003年01月01日(水)
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