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■ ▼ リリアーナ・カバーニ『愛の嵐』 (73 伊)
 やっぱり、あのナチスのパーティーのシーンいいよねぇ。気怠く頽廃的で、そしてサロメにひっかけてしまうのだもん。♪〜 それでも昔が懐かしい。。。。なんてのははまりすぎ。 ナチスのユダヤ人収容所で、親衛隊の将校マックス(ダーク・ボガード)が一人の少女ルチア(シャーロット・ランプリング)に目をつけて自分の女にしてしまう。そういうのがまかり通る世界だったのですねぇ。が、ダーク・ボガードが手を出さなくとも、絶対ボクは手を出してやる。それくらいボクの好み。ほれ、そのパーティーのシーンでも、あばら骨くっきりでしょ。歌い終わって、黒の手袋の手で自分の乳房を鷲掴み、あれ、ただ手を置いてただけかもしれませんが、ボクの欲望としてボクの頭の中では、乳房を鷲掴みにしてるんですね。それはおいといて、戦争が終わって10数年経ったときに、ホテルのフロントをしているボガードの前に、その少女がオーケストラの指揮者の妻として現れる。ここから、♪〜それでも昔が懐かしい。。じゃないんだけれど、いくら頭で拒否しても 、わかっていても、行ってしまうものなのね。それがナチスで無理矢理手篭めにされて自分の女にされたというだけで、焼けぼっくりに火をつけてるんだったら納得できないんだけど、サロメだったわけでしょ、これなら納得がいきます。割れたガラスを踏ませるくだりがあったでしょ。もうあれなんてゾクゾクしてしまうのは、ボクのマゾっ気のなせるわざなのでしょうか。女を隷属させたように見えて、いつのまにか男が隷属させられているというのは、このような特殊な状況―ナチス云々をからめなくとも言えるんだなぁと、見ていて切なくなってくるんだって。あぁ、女、入ってるぅぅ。。。 このいまと過去が織り交ざって表現されるのもみごと。マックスの仲間、誰かわからん、ドラキュラ頭の奴がTバックだけでバレーを踊るシーンもね、周囲が劇場なのでなくナチスの将校達が見ている中で衣装なしで肉体を曝けて踊るというのね、これ、むちゃイケテル。数あるバレーのシーンの中で最高でしょ。もちろんイタリアでの話だから、オペラなわけで、オペラと二人がはっきりと出会うところなんてひどくサスペンスじみててハラハラさせられるよね。 ナチスの残党のマックスの仲間の手によって、この「愛」は終焉に追い込まれていくのだけれど、このラスト30分(ここでもバックに♪〜それでも昔が懐かしい。。が流れる)はもうむちゃくちゃ狂おしいね。あえて「狂気」とは言わないでおこう。そして「道行き」。。。いつも思うんだけど、男の書いたものより女が書いたもののほうがストレートで怖い、と。男はどこかでごまかしてしまうのに、女はズンっとつきつけてくる。監督リリアーナ・カバーニももろ女。
Il Portiere Di Notte/the Night Porter 監督 リリアーナ・カバーニ 脚本 リリアーナ・カバーニ / イタロ・モスカーティ 撮影 アルフィオ・コンチーニ 音楽 ダニエレ・パリス 出演 ダーク・ボガード / シャーロット・ランプリング / フィリップ・ルロワ
★★★★★
2002年05月06日(月)
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