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■ ▼ ルキノ・ビスコンティ『夏の嵐』 (54 伊)
ずばり壮大なメロドラマ。最初のオペラのシーンからしてすごい。それに始まって現れるシーンの荘厳なこと。装置にしても衣装にしても限りなくホンモノ。ロケなんだかセットなんだか。もしオペラ座のシーンがセットだとすると、いやそれだけでなくあんなに多くの役者たち、その衣装だけでも大変だろうなぁ。すべてにおいて映画作りが耽美的、そういう作り方が可能な時代だったんだろうな。こんなのを前にしたら、どこかのペラペラな、ボコッと音がするようなセット使っておきながら、一大スペクトルロマンなどと派手な宣伝を平気でやってのける映画なんて。。。 19世紀なかば、イタリア独立戦争が舞台。と、この当時の貴族社会と戦争というのは、ボク自身はいまいちぴんと来ないんだけれど、いい加減腐敗しとるよなぁ。一方で戦争に駆り立てておきながら、その一方で豪奢な衣装でオペラ鑑賞だなんて。それはそれとして、そのオペラで出会ったオーストリアの将校フランク(ファーリー・グレンジャー)と伯爵夫人リビア(アリダ・バリ)の恋、そして破滅への道。ひたすらの美しさの彼方に人間の終未を見るようになる。彼の映画に現れる夥しい死も、背徳的な官能も、そのための豪奢な道具立てに過ぎないのだ。 なんて久世光彦に書かれてしまうと、何も書くことがないでしょ。でも書いてしまうと、ここでリビアにしろ、フランクにしろ、愚かに愚かに描いていく。それも格調高くね。ずんずんずんずん落ちていくばかりで、ベクトルはつねに負の方向を向いてる。戦争のまっただ中を突っ切って惚れた男の元に走るというのは、ときにはそこから一気に正のベクトルと化して突き上がっていったりもするけれど、この『夏の嵐』ではやっぱり負の方向を向いたまま。この描き方はあまりにもストレートで怖いくらい。そしてそれが「豪奢な道具立て」の前で描かれるのだから、どうにもこうにも。 さすがにビスコンティの中で1,2と評価されるのもなるほどと思える。すごくいい映画だとはボクも思う。でもボク自身はもうひとつ好きになれないでいる。救いがないからというわけでなく、ただ単に上に書いたように、貴族社会=大掛かりな道具立てというのがぴんと来ないからにすぎない。
Senso 監督 ルキノ・ビスコンティ 脚本 スーゾ・チェッキ・ダミーコ 原作 カミロ・ボイト『官能(Senso)』 撮影 ロバート・クラスカー / G・R・アルド 出演 アリダ・バリ / ファーリー・グレンジャー / マッシモ・ジロッティ
★★★☆
2002年04月28日(日)
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