★石狩浜  
ここは札幌からクルマで小1時間で行けて近いからよく行った。一瞬の夏にはば〜っと行ってそのまま泳いでそのまま帰ってきたり、いきなり講義が休講になったときどっか走ろうとすぐ石狩浜まで走った。あるときススキノで飲んでいて急に海が見たくなったって、後輩を脅して無理矢理運転させて石狩浜へ走った。他に誰がいたのか覚えてないんだけど、となりにK子がいたのだけは覚えてる。花畔(ばんなぐろ)を過ぎたあたりで、ボクは飲み過ぎていたので車を停めさせてゲロったほどだった。浜は真っ暗だった、ほとんど明かりというものもなくて、これもいまどうしてだったのか思い出せないけど、ボクはK子の後ろから抱きつきながら、浜を歩いていた。他に2、3人いたはずなのに、思い出せないというか、真っ暗で見えないのだ。波の音だけがしていて、突然K子が「勇気がないのね」と言ったのが合図だった。次の瞬間には2人で砂の上に倒れていて、さっき吐いたばかりの唇を重ねていた。それだけ。

 

★百人浜  
北海道の襟裳岬をちょっと過ぎたところに百人浜とゆう浜があるねんけど、ここはほとんど観光客も来ないし好き。な〜んもない。その昔この浜のすぐ近くで船が座礁して百人の人が死んだそうで今も亡霊が出るとか。だからとゆうわけでもないけど、夜には行ったことない。何度か昼間に行ってぼーっとカモメが飛んでいるのを見ていました。中学生だった頃に、内藤洋子の「白馬のルンナ」が主題歌の映画があって、内藤洋子が舟木一夫と、襟裳岬から東京へ駆け落ちするという話だったなぁ。その映画にこの百人浜が写っていて、いつか行ってやろうと思うていた。ほんとに何もないただ海だけが広がっているというとても淋しい風景。

 

★老人と海  
キーウェストはヘミングウェイの猫屋敷を見に行くのが目的だったから。ちなみにあそこで新しく生まれる猫の貰い手はもう何年も先までも決まっているらしい。で、あんまし時間がなかったので夕日ツアーのグラスボートに乗って少し沖のリーフに見に行ったけど、たいしておもしろくなかった。あれだったら白浜のグラスボートのほうが面白い気がするわ。でもカリブに沈む夕日はほんとにきれいだった。陸に戻ってからわかったんだけど、キーウェストでは毎日日没の時、サンセットフェスティバルといって一番海がよく見える海岸にみんな集まって大騒ぎをするらしい。それでいっぱいいろんなお店が出てお祭り、あ、フェスティバルだからお祭りか。

 

★海の若大将  
 「ぼかぁ〜、海が好きでぇ、悲しいことがあったり、淋しいとき...」
 こないだ日本アカデミー賞の授賞式で竹中直人が若大将の真似してた...

 

★貝塚人工島  
ここは釣りのフランチャイズ。大阪湾内はあんまちきれいやないねんけど、それでも冬場は結構、水も澄んでる。そろそろめばるの季節やしぃ、日の暮れる前に行って半夜で釣るのね。夕方ちょうど関空に日が沈んですごくきれいで釣れないときはぼーっとジェット機が離着陸するのを見てるわ。ここは大阪湾内で一番沖に出てるから海が広いんよね。淡路島から神戸、北港、南港、そして関空とぐるっと見渡せて、あそこは釣りに行くというより、ぼけに行くのね。

 

★浦神湾玉之浦  
ボクの秘密のテント場。静かな湾内で遠浅の海に面してる。ここに舟を出してキス釣るのね。釣ったキスはすぐそのまま刺身にしたり天プラにしたりして食べるとおぃしい、おぃしい。すぐのとこには磯もあってそこで木っ端グレも釣れるしぃ。昼間はそういうふうにして一日遊んで、夜は焚き火しながら、紀勢線ががたんごとんと走るあかりを遠くに見ながらずっと寝ないでウダウダしてる。シーズンさえはずせばほかに誰も来ないからこんなええテント場はほかにないわ。太地のすぐ近くね。そうそう、お風呂も勝浦までクルマで15分くらいだから、そこまで走って「はまゆ」とゆう温泉の銭湯に入りに行くのね。

 

★湘南  
大学の頃、ヒッチハイクにこっていて、ヒッチハイクすればどこへでも行けると信じてた。これは北海道から7台乗り継いで大阪まで帰ってきたときの話ね。ちょうど70年安保の真っ最中だったから、東京でやらなあかんと、でもお金が無かったから、ヒッチハイクで東京を目指したわけ。3日ほどかかったかなぁ、札幌から東京まで。それでも東京に着いたときはすっかり消耗していて、おまけにお金も残り1000円ほどしかなかったから、安保どころでなくて何もできずに、友達の下宿にころがりこんで寝てた。最後に残った240円で切符を買ったら大船まで買えたので、とにかく大船まで行って、そこからテクトコ歩き出して気がついたら、湘南だった。♪江ノ島が見えてきた〜なんて歌もなかったんだけど、ちょうど日曜で長距離のトラックなんか走ってなくて、走ってるのはみんな2人乗りの乗用車ばかり。しかたがないので江ノ島を見ながら、ずっと昼寝していた。あのサザンの光輝く天下の湘南のイメージとはほど遠い湘南を初体験したってゆうだけの話。

 

★白崎  
和歌山の白浜へ行くのにはふつうR42を走っていくのだけれど、有田か御坊までの間は海沿いに細い道が走ってるのね。クルマだと大変だけどバイクならずっと海を見ながらのらりくらり走れて気持ちがいい。その真ん中あたりに白崎ってゆう小さな岬があるんだけど、ここは名前のとおり岬が白いんだよね。難しくいえばプレートテクトニクス、つまり太平洋のプレートが大陸に向かって動いてきてちょうど日本のあたりでもぐりこむ、そのために地震が起こりやすいとゆう話なんだけど、この岬が白いのは、はるか南の海の珊瑚礁がこのプレートにのって動いてきてその岬にくっついたとゆうわけね。その部分だけが異様に白くて一種独特な雰囲気。そこだけがまわりとちがってはるか南からやってきたなんてことを考えるとすごく永い時間、とてつもない力とゆうものを感じてしまうのでした。

 

★湧洞湖  
これは北海道。十勝川の河口のちょっと南西で、ここらあたりは長節湖とかいわゆる潟湖だから、海と幅100mもない砂州で隣り合わせになってる。室蘭から一日走ってここらでもう夕方の6時くらいだったし、天気ももうひとつよくなかったので、きょうはここらでもう寝ようと国道から入っていった。浜に出ると「ここは国有の浜です。誰がキャンプしてもいいです 豊頃町」なんて書いた看板があって、しめしめと思ったんだけど、浜には誰もいないし、雲が超低空を流れていって、真夏だとゆうのにすごく寒々とした風景で、さすがのボクも二の足を踏んでしまった。それでも浜に乗り入れて地図を見ると長節湖まで道があるので、どこか適当なテント場はないかと走っていると、だんだん砂が柔らかくなってきてもうスタック寸前、これはやばいととうとうUターンして逃げ出してしまった。人がほとんど見向きしない原始的なパワーを見せつけられたなとゆう気がしたな。

 

★敦賀湾  
これは直接、海そのものではないんだけど、風景としての海の話ね。敦賀から今庄の間には旧北陸線の廃線跡が道路になってるところがあって、いくつもトンネルがある。クルマで行ったりしたらすれ違えないので入り口で待ってたりしないといけない。それでそのトンネルを抜けるとはっと目の前に敦賀湾が見える。山の中を走っているようで、急に海の風景が目に飛び込んできて、まわりにはほとんど人がいないしぼーっとしてられるな。夕日タイムに行ったことはないんだけど、きっとあそこからの夕日はいいんだろうな。

 

★浜寺〜助松  
ここはいまはもう臨海工業地帯になってしまったけど、幼稚園の遠足とかで行ったりもした。今は府営の浜寺プールになってしまってるけど浜寺水練学校とゆうのがあって、プールでなしに浜でやった最後のときに行ってた。いまのプールのすぐ外側がちょうど浜だった。その浜もすっかりコンクリートで固められて、ずず黒い運河のようになってしまってる。いまも松林とか防波堤が残ってたり、昔潮干狩りに行って遊んでるときに骨折してしまった滑り台がいまも残ってたりする。もう一度あの頃のような浜に戻せなんてことは思わないけど、ボクの最初の海があそこだったんだなとこないだふと思った。

 

★岩内  
札幌を夜中の2時頃クルマで出発して水揚げしたてのイカを食べに行った。その頃よく一緒に遊んでいたヨタ連中のボスが岩内に知り合いの家があって、その家に朝からあがりこんで、イカをしこたま買ってきてもらってそこのおばさんにさばいてもらって皿に山盛りになった飴色のイカをかきこんだ。そのあと近くの遊泳禁止の浜でちょっと泳いだりもした。浜からニセコの山並みがずっと見えたりもするけど、他に僕たち10数人以外は誰もいなかったな。あんまりきれいな浜ではなかったけど、そこらあたりに打ち上げられたカンを拾ってきて、ぶったたいてるうちにみんな音楽関係の連中だったので、カンを打楽器にして大パーカッション宴会になって騒ぎまくった。あのとき、音楽ってのは原始的なもんだなと思ったんだよな。その浜に廃船がほったらかしにされていて、それから半年くらいたってTVのドラマ見てたらその浜でロケしていた。その廃船が映って、ニセコの山並みにカメラが回っていた。

 

★潮岬  
よくよく考えてみるとここは4つか5つの頃に行ったきりだった。とゆうことは今をさること40年前になるのか。うちのオヤジは写真かじってたからもうその頃から8mmなんぞを映していて、潮岬に行ったのも以前見たことある。望楼の芝という広い芝生があってちょうど生まれたばかりの弟が芝の上で這ってたと思う。その芝のところでは意外とテント可なんだね。着いたのが夜の10時半過ぎてたけど、ボクのほかに何組かテントしてた。テント張るときのいい条件の中に、静かなこととか、タダであることとかもあるのだけど、空が広いこととゆうのも重要な条件になってる。でもこれは満たされないことが多いのだけど、ここはとにかく空が広かった。近くにみやげ物やとか民宿などがあるので暗くは無いのだけど、夜空には星がたくさん出ていた。起きてしばらくぼーっと芝の上で寝転がっていた。
本州最南端とか台風となるとすぐ潮岬測候所が出てくるから、荒々しいイメージがあるけど、この芝とか大島とかでわりとおとなしい雰囲気がする。たぶんこの岬は大島と同じようにかつての岬の先にある離れ島だっただろうな。 
 ♪ ここは串本、向かいは大島 中をとりもつ巡航船
大島は離れ島のままだけど、潮岬は陸継島になってしまったんだと思う。だから潮岬と大島と串本に囲まれてますます静かな雰囲気がするんだろうな。

 

★枯木灘  
枯木灘とゆうのは白浜の南の日置から和深あたりをさすんだけど、いま「枯木灘」と言われたら、中上健二の「枯木灘」のイメージが強すぎる。でも中上の「枯木灘」を読んでいると、言葉のイメージとして枯木灘を用いているだけで、どうも古座から新宮、木之本あたりのどちらかというと熊野灘の海が描かれていたと思う。実際、あの小説の中では「枯木灘」という言葉は出てこなかったんじゃないだろうか。それでボクの意識の中で最初に枯木灘が出てくるのは、中学の入学祝に椿温泉へ家族旅行したときのこと。1日目は白浜へ行って、いわゆる幸せな家族観光旅行だった。いまだに信じられないけど、白浜で観光バスで三段壁とか円月島とか見て回った。そして温泉の旅館に泊まって、ひょっとしてボクの記憶の中ではあれが最初で最後だったような気がする。家族で温泉旅館にゆっくり泊まってとゆうのは。あ、もちろん家族であちこち旅行したのはあるけれど、贅沢に泊まったとゆうのは最初で最後だった。
 さて次の日、椿温泉の幸せだった旅館を朝に追い出され、オヤジは何をとち狂ったのか母親とボクと弟の3人をこの枯木灘へ連れてきたのだ。どの駅だったか、たしか周参見(すさみ)だったと思う。その駅で降りる人など誰もいない。30年前の当時、駅周辺にも何もない。とぼとぼと海岸まで歩いて、ただ何もない海を家族で呆然と眺めていた。当然、前日あれだけ幸せだったこととの落差が激しく母親は不機嫌になり始めていた。ボクと弟も磯に下りていってはしゃぐなどということもせず、ぼーっと海べりで戻る汽車を待っていただけだった。ほんとうに何もない海だった。
 いまバイクを駆ってふいとやってきて当時のことを少しだけ思いだしながらさっと通り過ぎてしまう。
蛇足:その枯木灘のあと、田辺で途中下車し、タクシーに乗って市内の名所と言うところを見て回った。当然、白浜の観光、観光とした明るさもなく、何の変哲もない風景をわざわざタクシーを雇って回っていることについに母親は切れてしまった。

[96/05]


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