LET'S GET IT ON
MARVIN GAYE


'73 Tamla 329


  1. Let's Get It On  (M.Gaye, E.Townsend) 4:53 
  2. Please Don't Stay (Once You I Go Away) (M.Gaye, E.Townsend)  3:31 
  3. If I Should Die Tonight  (M.Gaye, E.Townsend) 3:58 
  4. Keep Gettin' It On (M.Gaye, E.Townsend) 3:13 
  5. Come Get To This (M.Gaye)  2:40
  6. Distant Lover (M.Gaye, G.Gordy, Fugua, S.Greene)  4:16
  7. You Sure Love To Ball (M.Gaye)  4:45
  8. Just To Keep You Satisfied (M.Gaye, A.Gaye, E.Stover)  4:28

    『PLEASE DON'T STAY』
    
 あなたはぐっとジョッキを傾けて、きょとんとした顔でわたしを見た。
わたしは、くっと喉の奥で笑ってしまう。あなたのひげにビールの泡がついて
るのだ。
「おーい、これ、最後のひとつ食べへんのか、食べてまうで」
と、ほとんど炭になりかけた肉をつまんで、油が白く固まって浮いているたれ
に入れた。
「こんだけ肉、焼いたらあかんがな」
と、無邪気に口を動かしている。
わたしは、とうにごちそうさまをして、店の人に入れてもらった熱いウーロン茶
を飲みながら、こんな町のはずれの小さな焼き肉屋で、あなたと焼き肉をつつく
関係になったんだなってしみじみ思っていた。

「もしもし」とあなたの元気の無い声がする。
「どうしたの。きょう、仕事は」
「きのうの夜から何も食べられへんねん」
「具合が悪いの」
「風邪ひぃたんかなぁ。何も食べる気ぃせぇへんねん、ずっと寝続けてて、さっき
やっと起きたとこやんか」
「ほんとに大丈夫なの」
「だから詠子と一緒やったら何か食べれるんちゃうかって」
「そんなこと言ったって、わたし、もうすぐ仕事に出るところなのに」
「わかってるて。仕事出ていく時間、ねろうて電話入れてるんやんか」
「もしかすると、わたし、きょうは早くでかけたかもしれないじゃない」
「あ、そのときはそのときやん。諦めてなぁんも食べんと寝てるわ」
「ほんとに何も食べてないの」
「な、な、俺がこれだけくたばってるのは2年に1回あるかないかやで。せやから」
「2年に1回といったって、あなたと出会ってからまだ2年にもならないじゃない」
「せやから、俺がこんだけくたばってるのは詠子と会うて初めてやん、な、せやか
 ら」

あなたはどうしてそんなに自分勝手なのと思いながらも、そんなあなたのペースにい
つか引き込まれてしまう。わたしは仕事先に、腹痛でお休みさせていただけますか、
とおなかがよじれるくらい笑いそうになるのをこらえて電話を入れた。どんどんあな
たに似てくるんだって思いながら。
すっかり暗くなってあなたの部屋のチャイムを鳴らしてみたけれど返事はなかった。
何、考えてるのだろう、具合が悪いなんて無理に呼び出しておきながら。
そっとノブを回してみると、ドアが開いた。乱雑に脱ぎ捨てたスニーカーを踏みつけ
ないように足許をさがしながら部屋に入ってみると、ベッドであなたは寝ていた。あ
かりは消したままで、ほの暗い中、わたしはふっとためいきをつきながらベッドにも
たれて、どうしてこんな男を好きになったんだろうと考える。
1年半前の秋、突然目の前に現れたあなたは、わたしが聞いてもないのに
「いま別居中やねん」と話した。
「えっ、奥さん」
「そうやぁ、別居中。あいつも仕事あるし、たまに別れてるのもええやん」
「へぇー、じゃあ淋しいんだ」
「あほちゃうか。もう結婚して何年になると思うねんな」
大阪から単身でやってきて、まったく大阪弁を忘れようとしない男、そんなあなたに
惹かれているわたしがいた。出会った頃は会うたびに不安になってよく言いあった。
その度にあなたは先のことなんか考えてどないするんやなんて、あなたはいつも笑っ
てごまかした。いつのまにかわたし自身も自分に
「先のこと考えてどうするんや、詠子」とつぶやいている。
プチ、プチと回りっぱなしのレコードの音だけした。だらしがないのだろうか、何も
気にしていないのだろうか。ベッドの脇にジャケットが落ちていた。
マービン・ゲイ「レッツ・ゲット・イット・オン」 
レコードはそのままにして、あなたの顔をのぞき込んだ。どこからともなくもれてく
る町のあかりにあなたの顔がうかんでいる。寝ていても、どこかにこっと笑っている。
そっと手を伸ばして口のまわりのひげを撫でてみた。
と、そのとき、あなたは子どものように可愛らしくふとんのふちにかけていた両手を
にゅっと伸ばしたかと思うと、わたしの頭を鷲掴みにして口づけてきた。しばらくわ
たしは上半身を右にひねったままの姿勢で唇を重ねていた。

「どうしたの。寝てたのじゃないの」
「かはははは、寝てへんよぉ、寝てるふりしててん。詠子が来たのも知ってるで」
「じゃ、わたしがここにすわっている間、何をしてたの」
「せやからぁ、寝たふりして、詠子の匂いかいでた。焼き肉食いに行こう」
「えっ」
「焼き肉食いに行こう」
「焼き肉といったって、おなかは」
「おなかぁ、なおった」
「えっ」
「おなか痛いん、ウソウソ。会社、休むのに適当に言うといたってん。『もしもし
 どうやら風邪をひいたようで、それが腹にきてるんですわぁ。』言うて。」
「じゃぁどうして会社休んだのよ」
「えっ、長いこと詠子に逢うてへんかったやん。せやから」
と、あなたはわたしの頭を抱いてわたしの髪をぐしゃぐしゃに撫でまわした。
いつだってこの調子だ。そして突然、2、3度、前髪をかきあげたかと思うと、
「焼き肉食いにいくで」
とさっさと玄関ではだしのままスニーカーをつっかけていた。

「ごちそうさま。ありがと。」
「ありがと言われたってなぁ、呼び出したんはボクのほうやし。終電、何時やった」
「11時32分」
「その前は」
「ええ〜っと」わたしは手帳を取り出してみる。この手帳にはあなたに関すること
が何でもメモしてある。
「11時8分」
「あかん、もう11時ちょい前やん。8分、間にあわへんで」
「いい、終電に乗るから」
「詠子、終電はいややて言うてたやん、混んでるし、酒くさいからって」
「うん」
「泊まっていけよ」
「いい、終電で帰る」
「いっぺんくらい、泊まっていけよ。何もせぇへんし」
「ううん」とつぎのことばを言いかけてわたしはふっと一息吸った。そのさきはも
う言わないことに決めたのだった。

終電はあなたとは全くちがう人たちで混んでいた。
まだあなたの部屋のマービン・ゲイは回りっぱなしなんだろうか、とふとわたしは
考えた。


 HOME